☆こころに残ることば☆☆まずは与えよう。時間を、笑顔を、助言を、知恵を、賛辞を、ユーモアを、才能を、激励を、愛情を・・・。 これらの豊かな流れはやがて逆流してくる。 こころは広がり、あなたが与えたものに価値を付加する。 (「お金持ちになる1分間の魔法」より) ☆ブランドになることは、多くの人の支持や共感を得てこそ 本物になるのです。 こだわりと、探求と、創造。 世の中が放っておかないほどのものを積み上げたい! だから「好きを仕事にする」のです。 (エグゼクティブセラピスト ばーびぃさん) ☆姫のごとくすてきに歩きましょう。 王のごとくりりしく振る舞いましょう。 母のごとくやさしいまなざしで、目の前の人を見つめましょう。 父のごとくゆっくりうなずきましょう。 そして子供のごとく笑いましょう。 (KIMIKOさん) ☆呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心踊る 夢を見たい かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える 繰り返すあやまちの そのたび ひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ 呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう 悲しみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう 閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される はじまりの朝の 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから (『千と千尋の神隠し』より『いつも何度でも』) ☆なぜ めぐり逢うのかを 私達は なにも 知らない いつ めぐり逢うのかを 私達は いつも 知らない どこに いたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語 縦の糸は あなた 横の糸は 私 織り成す糸は いつか誰かを 暖めうるかもしれない なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ 夢 追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ こんな糸が なんになるの 心許なくて ふるえてた風の中 縦の糸は あなた 横の糸は 私 織り成す糸は いつか誰かの 傷を かばうかもしれない 縦の糸は あなた 横の糸は 私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせ と 呼びます (中島みゆき 『糸』) ☆神様は皆に平等と言うけれど、ときに私達の目には不公平に見えることってありませんか? ある人にはたっぷりの幸運が注がれているかのように見えるのに、 ある人にはほんのちょっぴりしか注がれていないように見えるというような・・・。 だからついつい「きっと幸運の女神さまって気まぐれなのね」と私達は思ってしまいがちですね。 でも幸福の女神さまは決して気まぐれなどではないのです。 いつでも、誰にでも、素晴らしい幸運をたっぷりのやさしい慈雨として、 私達の命の中に注ぎ続けてくださっているのです。 そう、もちろん平等に・・・・。 けれども「天の愛の平等さ」というものは、 私達が差し出す心の器にたっぷりと注いでくださるという「平等」なのです。 気がついていらっしゃいますか? 私達の心には受容力という「器」があるのです。 「心の器」、人としての度量としての「器」です。 いわゆる心の広さのことですね。 私達は自らの心のあり方によって、自分の「器」をつくっているのです。 誰もの心の中には必ず多かれ少なかれかたさが存在するものです。 でもそのかたさから学び、トライをして素直になる度に、心は柔らかく広くなってゆきます。 心が広くなる程に幸運をうけとれる器は大きくなるのですね。 ときに私達はあらゆることにこだわりをもちすぎて、 自分の考え以外のものを認めない心が出てくることがありますね。 まわりの人の生き方や選択を見て「あの人のあのやり方おかしい」とか 「あんな考え方をして」と裁きの心が出てしまうときがありますね。 その裁きの心のラインが今のあなたの器の限界ラインなんです。 でももしも、自分がそれに気がついて裁くのをやめて「ああそういう考え方もあるんだな」 「ああそういう生き方もあるのね」と認め、自分と違う人々を受け入れ始めると、 サァーッと気持ちよく心の(枠)が広がり始めるんですね。 そうすると、もっともっと女神さまの幸運があなたの中に流れこみます。 頑固だった心がほんの少し素直になれると、ふわっ。 苦手だったものから逃げずに工夫し、楽しめるようになったら、ふわっ。 冷たかった心に温かさが通うほどに、ふわふわっ。 そしていつも誰かの幸運を温かく祈れるようになると、ふわふわふわっと、 あなたの心の器は広がって、天使のような幸運がそのたびに広がり続けるのです。 心はやさしいほうがいい。 温かいほうがいい。 やわらかく、広いほうがいいのです。 幸福というきらめく波動を受信できる素敵な心でいられるほうが嬉しいですね。 忘れないでください。 私達の心はどこまでも広くなれるのです。 そして、それがゆえにどこまでも幸福になれます。 今ここから、あなたの器を広げることができます。 そして、器を広げると、より現実が光り輝いてステージアップしてゆくから人生って素敵です。 (姫乃宮 亜美) ☆「美輪さんはどうしてそんなにいつもパワフルなのですか?」 とよく聞かれるのだそうです。 みんな、その秘密を知りたいみたいで。 美輪さんの答えはこう。 「それは簡単なことです。人からパワーをもらおうとするのではなく 人にあげようと思っているから」 ひすいこたろう 名言セラピーより ☆青 春 サムエル・ウルマン 宇野収 訳 青春とは人生のある期間ではなく 心の持ち方をいう。 バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さをいう。 青春とは臆病さを退ける勇気 やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失うときはじめて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。 苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。 60歳であろうと16歳であろうと人の胸には 驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心 人生への興味の歓喜がある。 君にも我にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の 霊感を受ける限り君は若い。 霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ 悲嘆の氷にとざされるとき 20歳だろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり 80歳であろうと人は青春の中にいる。 ☆静寂の果実は、祈り 祈りの果実は、信仰 信仰の果実は、愛 愛の果実は、奉仕 奉仕の果実は、安らぎ (マザーテレサ) |